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国際アクティビティ
フィリピン“ダバオ市”青少年育成事業
フィリピン“ダバオ市”青少年育成事業 |
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【フィリピン残留日系人の歴史】 |
【ダバオにおけるボランティア活動】
東京吉祥寺ライオンズクラブのL内田達男は,ダバオ生まれで戦後強制送還された者の一人であった。1960年代から遺骨収集団の訪問は行われていたが,日本政府の救済活動は全くと言っていい程行われてきておらず,ダバオの日系人の社会的地位の回復,経済的な復興は民間人の各種ボランティア活動に頼らざるを得ない状況であった。
1988年,当時L内田が所属していた東京武蔵野ライオンズクラブは結成25周年事業としてダバオの日系人のために日本語学校を建設した。これをはじめとして,同クラブは30周年事業(1993年)として歴史資料館,32周年(1995年)には野外音楽堂,35周年事業(1998年)として国際交流会館を建設し,ダバオ復興のためのボランティア活動を展開した。1980年代に入ってからは現地でも日系人会が結成され,これらの人々と手を携えての活動であった。1990年代に入ると教育・文化的支援活動も行われるようになった。日本フィリピンボランティア協会は,1992年に日本の小学生が使い終わったリコーダー2000本を集め,ダバオ現地の小学校に寄附をした。これがきっかけとなり,毎年11月にはダバオの野外音楽堂で小学校対抗・ハイスクール対抗のリコーダーコンテストが行われるようになり,今年で15回目を迎えるに至った。課題曲には日本の童謡や唱歌が採用され,その大会での入賞は各小学校の熱い目標となっている。 これらの活動に支えられた1990年代からのダバオの復興,経済発展には目を見張るものがある。しかし,依然として一家4人の平均家庭の平均月収が3万円弱という状態であり,街から10分も車で走ると貧民街が現れるという状況で,まだまだ民間ボランティア活動の必要性は高い。 |
【東京吉祥寺ライオンズクラブのボランティア活動】 |